ミール・ホルモズド
ミール・ホルモズド(ペルシア語:مهرهرمزد、直訳すると 「ミール・ホルムズ」)は、イランのスレン家の貴族であった。彼は、後にサーサーン朝のホスロー2世(在位590年 - 628年)の命令で処刑されたネムローズの長老マルダンシャーの息子であった。628年、ホスローは息子のカワード2世(在位628年)によって廃位され、投獄されたが、そこで父の死の復讐を企てたミール・ホルモズドによって間もなく処刑された。しかし、処刑後、カワードはミール・ホルミズドを殺害した。
出典
- プールシャリアティ、パルヴァネ(2008年)。『ササン朝の衰退と崩壊:ササン朝・パルティア同盟とアラブ人のイラン征服』ロンドンおよびニューヨーク:IBタウリス。ISBN 978-1-84511-645-3。
- アル・タバリー、アブ・ジャアファル・ムハンマド・イブン・ジャリル(1999年)。ヤル・シャテル、エフサン(編)。アル・タバリーの歴史:ササン朝、ラクミド朝、イエメン。デイビッド・ウェインズ訳。ニューヨーク州アルバニー:ニューヨーク州立大学出版局。ISBN 0-7914-0764-0。